Bimota Tesi 1D — テレスコピックを捨てた設計者の確信と、量産が証明したもの
ハブステアを量産二輪に持ち込んだBimota Tesiの設計思想・構造・歴史的意義を技術と文脈の両面から読み解く。
テレスコピックフォークへの不信任決議
二輪車の前輪懸架は、長い歴史のなかで数えきれないほどの機構が試されてきた。ガーダーフォーク、ボトムリンク、アールズフォーク、ハブセンターステアリング──。しかし結局のところ、市販車の圧倒的多数はテレスコピックフォークに落ち着いた。構造がシンプルで、量産コストが低く、整備性も悪くない。だが「安定の選択肢」であることと「最善の設計」であることは、必ずしも同義ではない。
テレスコピックフォークには構造上の宿命がある。制動時にフロントが沈み込む、いわゆるノーズダイブだ。フォークがストロークすればキャスター角もトレール量も変化し、荷重移動とジオメトリ変化が同時に発生する。これが操安性に及ぼす影響を「二輪の味」として受け入れるか、「設計上の妥協」として排除にかかるかで、エンジニアの立場は分かれる。
イタリア・リミニに拠点を置いた小さなフレームメーカー、Bimota(ビモータ)は後者の立場を取った。それも設計図面だけでなく、量産車として世に問うところまで踏み込んだ。1990年に発表されたTesi 1D(テージ・ウノディー)は、ハブセンターステアリングを市販ロードスポーツに組み込んだほぼ唯一の量産車として、二輪設計史に異様な存在感を残している。
Photo by Mr.choppers (BY-SA) via Openverse
ビモータという会社の体質
Bimotaの社名は、創業者3人──Valerio Bianchi、Giuseppe Morri、Massimo Tamburini──の姓を組み合わせた造語である。1973年の創業当初から、この会社のアイデンティティはフレームにあった。日本製のエンジンをイタリア製のシャシーに載せる。エンジンは買えばいい、フレームは自分たちで作る。この割り切りが、HB1(ホンダCB750エンジン搭載)やSB2(スズキGS750エンジン搭載)といった初期モデルの設計思想に色濃く表れている。
マッシモ・タンブリーニは後にドゥカティへ移り、916という歴史的名車を設計するが、ビモータ在籍時にすでにフレーム設計への飽くなき探究を見せていた。タンブリーニ退社後もビモータのDNAはフレーム屋のそれであり続けた。Tesiの設計を主導したのはPierluigi Marconi(ピエルルイジ・マルコーニ)である。マルコーニはボローニャ大学在学中の1980年代初頭から前輪のハブセンターステアリング機構を研究しており、その卒業論文がTesiの出発点とされる。「Tesi」はイタリア語で「論文」を意味する。量産バイクが大学の研究論文から生まれたという出自自体が、この車両の性格を物語っている。
ビモータは年間の生産台数が数百台規模の小さなメーカーであり、だからこそ大手では許容されないリスクを取ることができた。ハブセンターステアリングという、市場的には未知数の機構を量産ラインに乗せるという判断は、ホンダやヤマハのような企業では社内の承認プロセスを通らなかったであろう。リミニの小さな工房だから実現した「狂気」だった。
Photo by Arteum.ro on Unsplash
ハブセンターステアリングの構造──何が違い、何が変わるのか
Tesiの前輪懸架機構を理解するには、まずテレスコピックフォークが「何を一体化しているか」を整理する必要がある。通常のテレスコピックフォークは、操舵軸(ステアリングステム)・懸架装置(スプリングとダンパー)・制動力の支持構造という三つの機能を一本の筒状部材で兼ねている。構造が単純な反面、制動力がフォークを圧縮する方向に作用するため、ブレーキングとサスペンションストロークが不可分に連動する。
ハブセンターステアリングは、この三者を分離する。Tesi 1Dの場合、前輪はスイングアーム状のアームで車体に接続されており、ハブの中心軸まわりに操舵が行われる。ステアリング入力はハンドルバーからリンケージを介してハブに伝達され、懸架はリアサスペンションと同様にショックユニットが別途受け持つ。制動時のフォース・ベクトルはスイングアームの軸方向に吸収され、サスペンションのストロークとは原理的に切り離される。つまり「ブレーキをかけてもフロントが沈まない」──正確に言えば、荷重移動による車体姿勢変化とサスペンションの動作が独立する。
この分離がもたらす理論上のメリットは明確だ。制動中もジオメトリが安定し、コーナー進入時のフロントの挙動が予測しやすくなるとされる。一方でデメリットも少なくない。まず、リンケージを介した操舵はテレスコピックのダイレクトな手応えに比べて「遠い」感触になると一般に言われる。ステアリング系の剛性確保も課題で、リンク数が増えるぶんだけガタの管理が難しい。さらに、整備性はテレスコピックの比ではなく複雑になる。フロントタイヤの交換ひとつ取っても、通常のフォークとは作業手順がまるで異なる。
Tesi 1Dのフロントまわりは、片持ちのスイングアーム構造で、前輪の左側にブレーキディスク、右側にスイングアームのピボットが配置されている。操舵用リンケージはアルミ削り出し部品の組み合わせで構成され、部品点数の多さとその加工精度の要求水準が、そのまま車両価格に跳ね返った。量産といっても一般的な意味での大量生産とは程遠く、1台ずつ手作業で組み上げるに近い工程だったとされる。
📺 関連映像: Bimota Tesi 1D hub center steering explained — YouTube で検索
Photo by Knetknewt (CC BY-SA 4.0) via Wikimedia Commons
ドゥカティ製851エンジンという選択
Tesi 1Dの心臓部はドゥカティ851のデスモドロミック水冷L型2気筒である。排気量851cc、公称出力は当時の資料で約113馬力前後とされる。ビモータがこのエンジンを選んだ背景には、いくつかの必然がある。
まず、従来のビモータが日本製4気筒を多用していたのに対し、1980年代後半からイタリアン・スーパーバイクのレギュレーション環境が変化し、2気筒のメリットが際立ち始めていた。ドゥカティ851はWSBK(スーパーバイク世界選手権)でも戦闘力を証明しており、コンパクトなエンジンサイズはTesiの複雑なフレーム構造と干渉しにくいという実装上の利点もあった。
デスモドロミック動弁機構──バルブの開閉をスプリングではなくカムとロッカーアームの両方向で機械的に行うドゥカティ独自の方式──は高回転域での確実な追従性に優れるが、定期的なバルブクリアランス調整が必要となる。Tesiのオーナーはフレーム側の独自機構に加えて、ドゥカティ系エンジン特有の整備サイクルにも向き合うことになる。趣味性は極めて高いが、維持のハードルもまた高い。
エンジンは構造部材としてもフレームに組み込まれるストレスメンバー的な配置がなされており、これはビモータの得意とする設計手法だった。アルミニウム製のメインフレームはエンジンを挟み込むように構成され、車体全体としての剛性バランスをエンジンブロック自体に一部委ねている。この考え方は後のドゥカティ916やパニガーレ系にも通じるものがあり、1990年時点ですでにこうした構造を市販車に実装していたこと自体が注目に値する。
Photo: Ducati 851 2 by Calreyn88, via Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0)
生産台数、相場、そして「乗れるのか」という問い
Tesi 1Dの生産台数は、資料によって数字にばらつきがあるが、おおむね数百台程度とされる。1990年から1990年代半ばにかけて生産され、のちにTesi 2D、Tesi 3Dと世代を重ねていく。初代1Dは最も台数が少なく、現存するコンディションの良い個体は希少である。
2020年代のオークション市場では、状態の良いTesi 1Dは相当な高値で取引されている。具体的な成約価格は個体の状態や来歴によって大きく振れるため一概には言えないが、ビモータの他モデル──たとえば同時代のYB6やSB6──と比較しても、Tesiは「ビモータの中のビモータ」としてプレミアが乗る傾向にある。
問題は、これが実際に乗れる車両なのかという点だ。部品供給は当然ながら限られる。特にTesi固有のステアリングリンケージ部品は汎用品で代替できず、ブッシュやベアリングの摩耗が進むと操舵フィーリングに直結する。ドゥカティ851系エンジンの消耗部品は、ドゥカティのアフターマーケット網がある程度カバーするが、フレーム側の専用パーツについてはイタリアの専門ショップやビモータに詳しい個人ビルダーの知見に頼ることになる。
日本国内での登録・車検については、並行輸入車としての手続きが必要になるケースがほとんどだ。ハブセンターステアリングという特殊な構造が保安基準上の問題になるわけではないが、車検時に検査員が構造を理解していないことで手間取るという話は、この手の希少車では珍しくない。
「コレクションとして保管するのか、走らせるのか」──この二択はTesiのオーナーが常に突きつけられる問いである。走らせてこそ意味がある機械だが、走らせるための維持体制を構築すること自体が、ひとつのプロジェクトになる。
Photo by Spencer Davis on Unsplash
テージ以降──ハブセンターステアリングはなぜ普及しなかったのか
Tesiが証明したのは、ハブセンターステアリングが量産車として成立し得るということだった。しかし同時に、この機構が主流にならなかった理由もまた、Tesiの存在が逆説的に示している。
コストが高い。構造が複雑で整備に専門知識を要する。そして何より、テレスコピックフォークで「十分に速く、十分に安全に」走れてしまう現実がある。レースの世界では、ホンダのELF(エルフ)プロジェクトやヤマハのGTS1000がハブセンターステアリングを試み、一定の成果を見せたが、いずれも市販車として大きな広がりにはつながらなかった。ヤマハGTS1000は1993年に市販化されたが、販売は振るわず短命に終わっている。
二輪車における技術革新は、しばしば「理論的に正しいこと」と「市場が受け入れること」の乖離に直面する。ハブセンターステアリングは前者の典型だ。制動と懸架の分離という合理性は疑いようがないが、ライダーが長年親しんだテレスコピックの手応え──フロントが沈むことで制動力を体感的に把握するあの感覚──を手放すことへの心理的抵抗は、技術的合理性だけでは乗り越えられなかった。
ビモータ自身は2000年代にTesi 3Dを発売し、ドゥカティの空冷2バルブエンジンを搭載したモデルで再びハブセンターステアリングに挑んだ。そして2020年代に入ると、Tesi H2としてカワサキのスーパーチャージドエンジンを搭載した最新世代が登場している。Tesiの系譜は途絶えていない。むしろ、ビモータがカワサキ傘下に入ったことで、部品供給やエンジン調達という従来の弱点が改善される可能性すらある。
📺 関連映像: Bimota Tesi H2 riding review — YouTube で検索
Photo: Bimota Tesi H2 (2020) by Matthb1395, via Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0)
結局この一台は何だったのか
Tesi 1Dは、量産車としては極めて異例の存在であり続けている。テレスコピックフォークの限界を構造的に突破しようとした設計者の意志が、リミニの小さな工房の経済規模だからこそ形になった。理論の正しさは30年以上経った現在でも色褪せていないが、市場がそれを大衆的に受け入れることは、おそらく今後もない。しかし、それでいいのだ。すべての技術が普及する必要はなく、Tesiが存在したという事実そのものが、二輪の設計に「別の道があり得た」ことを証明している。
現在、程度の良い1Dを入手するのは容易ではなく、Tesi 3DやTesi H2のほうが現実的な選択肢になる。だが初代1Dのアルミ削り出しリンケージの塊感と、ドゥカティ・デスモの鼓動が組み合わさったあの造形は、写真で見るだけでも設計思想の密度が伝わってくる。
もっと深く知りたい方には、Roberto Patrignani著『Bimota: Le Moto Italiane』(Giorgio Nada Editore刊)がビモータの全モデルを網羅した一冊として定評がある。国内では『RIDERS CLUB』1991年5月号(枻出版社)がTesi 1Dの詳細なインプレッションを掲載しており、当時の空気感を知るうえで貴重だ。また、グッゲンハイム美術館が1998年の展覧会に合わせて刊行した『The Art of the Motorcycle』(Guggenheim Museum Publications)は、Tesiを含む革新的バイクを文化史的な視座で位置づけた大判書籍で、技術書とは異なる角度からの理解を深めてくれる。
本記事はメーカー公開資料・雑誌バックナンバー・公開報道を編集したものです。公道での違法改造・スピード超過・無保険走行を推奨するものではありません。車両の購入・カスタム・メンテナンスは、必ず正規ディーラーまたは認証整備工場にご相談ください。
📚 この記事で紹介した書籍
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Bimota: Le Moto Italiane
Roberto Patrignani / Giorgio Nada Editore
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RIDERS CLUB 1991年5月号
枻出版社
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The Art of the Motorcycle
Guggenheim Museum Publications
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